2005年04月17日

ゲームの記憶:ファイナルファンタジーIII

ff3ファイナルファンタジーIII
1990・スクウェア・ファミリーコンピュータ

ファイナルファンタジーが、ドラクエと並んで国産RPGの二本柱としての地位を確立したのが、この「III」だろう。実際、シリーズ初のミリオンセラーになったし、発売日には売り切れが予想されたので、予約して買った。そう、予約しないと買えない時代があったんですよ、プレステ世代のみなさん。

作っては壊し、また作っては壊すスクラップ&ビルドがFFの真骨頂だが、前作の「熟練度システム」を早々に破棄しての本作のウリは「ジョブシステム(転職)」。ジョブ(職業)という概念自体は「ウィザードリィ」や初代FFからとっくにお馴染みだし、転職システムにしても二年前の「ドラクエIII」ですっかりコンシューマ・ユーザーたちに浸透していたものだが、「ドラクエIII」の転職が、「レベル20にならないと転職できない」「レベルが1に戻る」などのリスキーな条件を伴うものだったのに対して、本作のシステムはいつでも、どこでも、レベルが減ったりすることなく転職できる。好みや状況に応じてジョブを使い分けられるわけだ。ストーリーが進行し、クリスタルを1つ発見するたびに使えるジョブが増えていくのが嬉しかったものだ。

このジョブシステムを生かすために、ストーリーの中で、「小人にならないと入れないために、全員魔導師系にならないと戦えないダンジョン」や「竜騎士にならないと倒せないボス」「暗黒剣士でないと倒せない敵ばかりが出てくる洞窟」などが登場。これらのイベントでは、普段使っていないジョブを使わないといけないために装備品が足りなくなったりして、多少うざったくもあった。また(これは後の「V」でのジョブシステムを経験したから、"いま思えば"という話だが)、異なるジョブの間には継承性や互換性がなく、決まったジョブを使い続けてもいろいろなジョブを使い分けても結局ジョブチェンジするとそのジョブの特性しか享受できないので、最終的には4人のキャラクターが特定のジョブに固定されてしまう、ということにもなった。その辺りの不満点を全て解決したのが、のちの「V」でのジョブシステムだったわけだ。

同じくジョブシステム重視の「V」がそうであるように、ストーリーや世界観は、「II」の悲しく暗いムードとはうって変わって明るめ。やはりストーリーの要所要所において人がよく死ぬのは「II」や「IV」と同じだが、基本的にはとある村のやんちゃな若者4人衆の冒険が、世界を救う戦いに繋がる冒険活劇風。世界は滅ぼされようとしているのに、4人の掛け合いのような台詞回しはどこか呑気で微笑ましいものだった。また、すっかりFFのウリの一つになった飛空艇が3台登場したのも子供心にワクワクした。特に、2代目の飛空艇「ノーチラス」が登場したときの高速スクロールにはぶったまげたものだ。それから、初めて浮遊大陸を飛び出し、眼前に果てしない大海原が広がったときのあの衝撃!それまで旅していた大陸が、世界のほんの一部にすぎなかったという驚きは忘れられない。

それから音楽にも触れないわけにはいかないだろう。たった3音の電子音しか鳴らないPSG音源のファミコンで、ここまで出来るのか、という驚き。ファミコン時代最後のFFに相応しい出来だ。初プレイ時、フィールドで流れるメインテーマ「悠久の風」の美しさに感動し、ゲームを進めるのをしばし中断して曲に聴き入っていたものだ。そして、いくらゲーム音楽が注目されるようになったといっても、せいぜい一つのゲームで使用される曲数は10数曲程度だった当時にあって、本作のサントラに収録された曲数は44。ダンジョンによってそれぞれ専用の曲を用意するなど、場面場面に合わせた楽曲によって演出効果を高める先駆となったのは、この「FFIII」ではないだろうか。

さて、前述したようにファイナルファンタジーが大メジャーRPGとしての道を歩き始めたのが本作。確かに作品全体のムードとして、前作までにあったマイナー臭はすっかり抜けている。ゲームバランスも前2作ほど凶悪ではないし、進行やシステムにおける破綻もほとんど見られない。メジャーとしての貫禄、安定感がここでは漂っている。しかし、そこはファミコン時代のFF。なりを潜めていたかに思えた凶悪なFF、ヒールとしてのFFが、最後の最後、そう、FFIIIの話題となるとほぼ100%登場する「ラストダンジョン」にて、牙をむいて襲い掛かってくるのだァァーッ!(ドギャーン)

「FFII」で全国のよい子のみんなを絶望のどん底に叩き落した長大なラストダンジョンが、本作では更にスケールアップして登場。「クリスタルタワー」「闇の世界」という2つのダンジョンを、やはりノーセーブでクリアしなければならない。しかも、最後にセーブできるポイントと外界のあいだには、これまた複雑で面倒な構造の「古代の民の迷宮」が存在するため、実質3つのダンジョンをアイテム無補給で、ということになる。いや、さらには「クリスタルタワー」の中に、究極の武器防具や最強のジョブ「忍者」「賢者」がゲットできる「禁断の地エウレカ」(これまた深くて長い)への入り口もあるのだ!無論出てくる敵は最強級。この、3つのダンジョンを攻略しなければならないうえに外界へ戻るためには「古代の民の迷宮」を通らなければならないという構造は、ドス黒い悪意に満ち満ちているね!

エンディングを見るためにクリアしなければならない「クリスタルタワー」+「闇の世界」の道程は、ゆうに1時間を越える。しかもその間には、5回もの超強力ボスとの戦闘(+ザンデ戦での長いイベント)があるのだ!特に「2ヘッドドラゴン」の反則的な攻撃力に泣かされ、ともすればファミコンを殴りつけた人も多いのではないだろうか。で、データ飛んだりして。シャレにならん。ラスボスに辿り付くころにはキャラもプレイヤーも心身ともにボロボロだよ!それであっさり「はどうほう」で全滅させられた時は、幼くして鬱病になりかけました。もちろん死んだらそこで終わり。ドラクエみたいに、経験値だけは残るなんてこともないし。全てが水泡に帰す。このシビアさ。出自からして反骨精神と実験精神に満ち満ちていたファミコン時代のファイナルファンタジーは、最後の最後までその牙を尖らせ続けていたのだ。


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2005年04月10日

ゲームの記憶:ファイナルファンタジーII

ff1ファイナルファンタジーII
1988・スクウェア・ファミリーコンピュータ

ファイナルファンタジーの名をゲームキッズに広く知らしめた出世作。売上ではまだドラクエに遠く及ばなかったものの、知名度はこの「II」で一気に上げた。がしかし、前作に引き続き、というか前作にも増して、やっぱりよいこのプレイヤーのみんなには凶悪極まりないと思われる難易度(ゲームバランス)。ドラクエが「家庭に一本」的な親しみやすさとスタンダード性で広く支持されたのに対し、ファミコン時代のファイナルファンタジーは、アバンギャルドといっていいほどの難易度やシステムを有し、ある種「音を上げる軟弱者は帰れ!」とつっぱねるような硬派さを有していた。王道に対する覇道。ベビーフェイスに対するヒール。白と黒。そんなイメージすら喚起される。いま思うと、こんなプレイヤーを突き放すような作品をリリースしながら、ファイナルファンタジーがドラクエと肩を並べるまでの支持を集めるようになったというのが不思議だ。どんな面持ちで本作をプレイしていたのか、当時の子供達に問うてみたい。っておれか、当時の子供って。終盤で敵が強くなりすぎてほっぽり出したのは覚えてるんだけど。クリアしたのは、やっぱり高校に上がってからでしたかね。

さて本作では、当時濫造されるRPGにおいて、誰も疑問を持つことのない当然の「前提」として採用されていた「経験値」と「レベル」のシステムを撤廃。うーん、アバンギャルド!敵を武器で攻撃すれば力や武器の威力が、魔法を使用すれば魔力や魔法の威力、MPが、敵からダメージを受ければHPが上昇する・・・といった「熟練度システム」が売りだった。が、これが漫然とゲームを進めていると、出てくる敵の強さの上昇に自分のレベルアップが全く追いつかなくなる現象を生み出す代物。いとも簡単にゲームバランスは崩壊する。「ドラクエIII」でいうと、いつのまにかレベル10でサマンオサに放り込まれていた、みたいな事態に平気で陥るのであります。

そこで重宝したのが「パーティーアタック」。味方を攻撃することによっても熟練度やHPが上がることを利用して、敵そっちのけで小一時間、味方同士傷つけあう異様な光景が、日本全国のテレビのブラウン管の中で繰り広げられたのでした。勢いあまってマリアを斬り殺しちゃったことも幾度となくあったけど、それも今やいい思い出だね!

演出やシナリオに目をやれば、「ドラマのFF」「映画的なFF」の原点がここにある。本作は、自キャラクターの名前入力後、何の説明もなくいきなり戦闘シーンが開始!現れたくろきし×4にボコボコにされて全滅するところから始まる。うーん、アバンギャルド!せっかちな人は勝たなきゃいけないと勘違いして、リセットしまくって挙句ここでほっぽり出したりしなかったんでしょうか。という配慮も丁寧に掬い上げ、ゆえに王道を歩んだのが当時のドラクエでありましたが、FFはんなこと関係なし!に突き進む。当時はこのオープニングが実に新鮮に感じたことを覚えている。

反乱軍とパラメキア帝国の戦争を描いたこのドラマでは、とにかく人が死にまくる!泣かせどころはほとんど全部人が死ぬことによって演出。しかも、自分で操作する4人目のパーティーキャラクターとして、入れ代わり立ち代わり参加するキャラクターが逐一死んでいくのだからたまったもんではない。子供心に「こんなに豪快に人を死なせまくってしまっていいものか」と思ったものだが、「人が死ぬFF」というイメージはFFIVまで引き継がれることとなった。

キャラクター達の死を乗り越え、崩壊するゲームバランスと戦い、最後に待っているのがこれもまたファイナルファンタジーの定番となった「長大なラストダンジョン」。一度の戦闘で全滅寸前になるほどの強力な敵が次々襲い掛かり、回復アイテムが尽きる恐怖とも戦いながら、ラスボスまで軽く40〜50分はかかりそうな道程をセーブポイントなしで完遂しなければならないこのラストダンジョンは、まさに子供相手とは思えぬ容赦のなさ。凶悪!やっとの思いでラスボスまでたどり着きながら、「いんせき」であっさり全滅させられたときの絶望感は、当時の小学生達がはじめて味わう人生の苦杯だったかも知れない。悪意すら感じるよ!ここで最後の最後に投げ出したプレイヤーも多かったのではないでしょうか。

もう一つ本作で思い出深いのは音楽。ゲーム音楽というものを意識するようになったのは「ドラゴンクエスト」からだったけど、より強くのめりこむきっかけになったのは本作の「メインテーマ」の美しさと「戦闘シーン」のおどろおどろしさだった。ドラマチックかつ、全編を通してどこか悲しさが覆う本作の世界を彩るに相応しい佳曲揃いだ。

PS版のリメイクは、音楽のリアレンジ以外はリメイクとして特に文句のない出来だったけど、ゲームバランスが大きく弄られたのだろう、ずいぶん「ヌルく」なっているように感じた。懐かしさによる「やり直し」とか、プレステ世代がプレイする分にはこれぐらいで丁度いいのかもしれないけれど、どこか寂しくも感じたのでした。ドラマチックで美しい物語の背後に潜んだ、なかばぶっ壊れたパンキッシュなまでのアバンギャルド精神。それこそが本作のキモではなかったか、と今更ながらにして思う次第。
posted by TSUKASA at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

ゲームの記憶:ファイナルファンタジー

ff1ファイナルファンタジー
1987・スクウェア・ファミリーコンピュータ

記念すべきファイナルファンタジーシリーズの1作目。当時、制作したゲームの業績が芳しくなく、プロデューサーの坂口博信氏が「これが最後の夢だ」と銘打ったのが、この作品。今でこそ説明不要な日本RPG界の巨星となったこのタイトルですが、少なくともこの1作目の発売当時は、同年に発売された「ドラゴンクエストII」による空前のRPGブームによって雨後の筍のごとく濫造されていた多数のRPGの中の一本という印象でした。いや、話逸れるけどあのRPGブーム―というかドラクエブームか―はほんとに雨後の筍という表現がぴったりだった。それまでアクションやシューティングが主流だったコンシューマゲーム市場が、猫も杓子もRPGになってしまったのだから。

さて、そんな状況下で発売された本作、当時の私は華麗にスルー。2ヶ月後には「ドラクエIII」の発売が控えていたし、たしか本作が発売された頃は「桃太郎伝説」をやっていた。さくまさん&どいんの「ジャンプ放送局」コンビが作ったあれだ。っていうか、たぶん発売当時はファイナルファンタジーのファの字も知らんかった気がする。リアルタイムで買ったのは「II」からで、確かその後にプレイしたはずだ。な、の、だが。

ドラクエ、桃伝といったジャンプイズム溢れる少年向RPGに慣らされていた当時小学校低学年の自分には、本作の世界はあまりにもビターで硬派だった。クリアせずに物語中盤で挫折。エンディングを見たのは、10年弱経過して高校生になってからだった。ちょうど、コーヒーにミルク入れなくなった頃、だったか。シリアスでどこか馴れ合いを拒むような硬派さに満ちた世界観やグラフィック、そして効果がやたら細分化されまくってて、これまたとっつきづらい魔法に、まだまだ小便臭かったガキんちょの私は見事弾かれた。シナリオに寺田憲史、アートデザインに天野喜孝、プログラムにナーシャ・ジベリを起用。ドラクエブーム、RPGブームの流れに乗りながらも、ドラクエに牙を向かんとする気骨が密かに、静かに燃えている。なればこそこの「ファイナルファンタジー」は、その命名の思惑を幸福にも外れ、「最後の夢」にはならなかった、のではないでしょうか。

PSのリメイク版は未プレイです。
posted by TSUKASA at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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