
んで、ええとね、自分はとりあえずトランスジェンダーの部分よりも、純粋に「子供と性」であるとか、あとは「子供が自分という存在が他者を傷つけることがあるということを知っていく過程」というか。両方とも大人になるということですけど。そういう話として楽しめました。そういう意味で3巻とかもうたまりませんでしたけど。だから「少年少女の思春期物語」といわれても、さほど違和感は感じなかったかな。
まあ確かに少年性が希薄だと言われればそうなんだけども、おれはむしろ「さくらの唄」のようないわゆる男くさい青春像のほうがファンタジーとして読めてしまうし(主人公の自意識の抱え方は圧倒的にリアルで怖いぐらいだったけど)、だからこそああいう青春像に憧れてしまったりもするんですよねー。まあ、人より繊細で傷つきやすいゆえに人と違う特別な僕、なんつー青い自意識過剰もまた思春期ならではなわけで。おれにもそんな恥ずかしい年齢があったことは否定できないわけでねえ。あと、ちなみにおれは何度か普通に夢精したことあります(普通に夢精ってなんだよ)。まあ精通は自力開通でしたけどね。ってなにを情報公開しているんだおれは。
ていうかトランスジェンダー云々の話は確かに(これだけ引きのいいテーマとして据えられていながら)現時点でまだまったく掘り下げられているように思えないので(だからこそ↑のように普通に「子供の成長物語」として読んでしまったわけで)、そこはまだ先を見てみないとわからないな。てか、そこはむしろどうでもよくなっているおれは読み方間違っているのでしょうか。どうしてもトランスジェンダーの話だと読めないんだけど。まあ、この続きぜんぜん知らんけど、4巻で修一くんもオナニーぐらいするでしょう。するはずだ。ていうか、しなきゃだめだっ(力説)。そこで次の展開だと思うんですよね。それがないと話進まないでしょう。んでもっとドロドロしていってほしいですね。期待。
で、こんなドロドロした話なのに全然重くないのがいいですね。これが榎本ナリコなら既にリストカットのひとつもしてると思うんですよ(って、おれは榎本ナリコ好きですけどね!それこそ「スカート」とか何回も読み返しちゃうぐらい大好きだし)。この人はこんなテーマなのになぜこんなにも小学6年生を小学6年生らしく描けてしまうのでしょう。そして出てくるキャラクターが脇役も含めてみんないい。子供も大人もそれぞれに魅力的だ。で、この漫画にベタ嵌まりしていることを告白している時点である程度自分の恥ずかしい内面を曝け出しているようなものだし、その上どのキャラにとりわけ感情移入しているか、なんつーことを開陳し出したりなんかしたらさらにその恥ずかしさがバレてしまうと思うのだが、おれは修一くんよりもむしろ、高槻さんにやられているのかもしれないと思った。あー恥ずかしい。
さて次はまこりんさんに薦められた「残酷な神が支配する」を読むのだ。萩尾望都は「恐るべき子供たち」しか読んだことないんですがそれ以上に濃いということで楽しみです。ていうか自分で自分をどんどん追い込んでいるような気がします。